東方神起(とうほうしんき、〈동방신기:トンバンシンギ〉)は、韓国出身の男性デュオである[2]。レコード会社兼芸能事務所のSMエンターテインメントに所属し、韓国や日本を中心に活動している。2003年[3]の結成時から2010年までは5人グループで活動していたが、うち3人が所属事務所を離籍して別グループ「JYJ」を結成し事実上脱退したため、現在は2人で活動している。
「アカペラ・ダンスグループ」を自称しており[4]、アカペラ・グループ、ダンス・グループ、ボーカル・グループ、ダンス・ボーカル・ユニットと紹介されたこともある[5][6]。
概要 [編集]2003年に結成され[3]、2004年1月に韓国で、2005年4月に日本でデビューし、以後両国を中心に活動している。グループ名は「東方の神が起きる」という意味で名付けられたものであり、漢字の通用する中国、韓国、日本を中心に世界に広く知られるグループになるようにという思いが込められている[7]。公式のラテン文字表記は「TVXQ!」(ティー・ブイ・エックス・キュー。「TVXQ」「TVfXQ」とも)。これは「東方神起」の中国語読みをローマ字表記した「Tong Vfang Xien Qi」の頭字語から名付けられたものである。日本では、これに代わり日本語読みのローマ字表記「Tohoshinki」が使われている。
メンバーはコーラス、アカペラ、ダンスをこなし、全員がメインボーカルを担当できる形式を採っている。また、一部楽曲では作詞・作曲・編曲も手掛けている。スタイル的にはユ・ヨンジンが生み出した「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) を継承し[8]、[9]。ただH.O.T.と違い、俳優業も行っている。
公式グローバル・ファンクラブの名前は「Cassiopeia」(カシオペア)で、これとは別に日本には「Bigeast」(ビギスト)という公式ファンクラブもある。グループカラー(応援色、風船色)は「パールレッド」。
メンバー [編集]詳細は個人の項を参照
ユンホ(ユノ、〈유노윤호:瑜鹵允浩 - ユノ・ユンホ/U-Know YUNHO〉、本名:チョン・ユンホ、1986年2月6日 - ) - リーダー、ローパート・ラップ担当
チャンミン(マックス、〈최강창민:最強昌珉 - チェガン・チャンミン/Max CHANGMIN〉、本名:シム・チャンミン、1988年2月18日 - ) - ハイパート担当
旧メンバー [編集]ジェジュン(ヒーロー、〈영웅재중:英雄在中 - ヨンウン・ジェジュン/Hero JEJUNG〉、本名:キム・ジェジュン、1986年1月26日- / 2003-2010年) - メインパート担当
ユチョン(ミッキー、〈믹키유천:秘奇有天 - ミッキー・ユチョン/Micky YUCHUN〉、本名:パク・ユチョン、1986年6月4日-/ 2003-2010年 ) - ミドルローパート・ラップ担当
ジュンス(シア、〈시아준수:細亜俊秀 - シア・ジュンス/Xiah JUNSU〉、本名:キム・ジュンス、1987年1月1日-/ 2003-2010年) - ミドルハイパート担当
略歴 [編集] 結成・デビュー [編集]2003年、韓国大手芸能事務所のSMエンターテインメント(以下「SM」)が、それまで韓国アイドル界で一般的であった役割分担を廃し、メンバー全員がメイン・ボーカルを務められる「アカペラ・ダンス」という新たなスタイルのボーイバンドを企画[3][10]。自社に所属する練習生の中から様々な組み合わせが検討された結果、それぞれソロや別グループでメインボーカルとしてデビューの準備を進めていたジュンス、ユンホ、チャンミン、ジェジュン、ユチョンの5人が選抜され、事務所では『ドリームチーム』(金英敏)と呼ばれるグループが誕生した[11]。当時、SM内では中国本格進出の切り札として位置付けられていたことから[9]、中国風の漢字4文字のグループ名と芸名が与えられ[12]、同年12月26日にSBSの特別番組で初披露されたのち、翌2004年1月14日にシングル「HUG」でCDデビューを果たした[1]。
デビューには総額80億ウォンに上る多額の投資がなされたが[13]、このころの韓国歌謡界は1990年代後半から続いていた第1次アイドルブームが下火となり、ピなどソロ歌手が全盛を極めていたため、デビュー当初は活躍できる余地はないと見る向きが多かった[14][15]。しかし、デビュー曲は『SBS人気歌謡』の「ミュティズンソング」に3週連続で選ばれ[16]、同年末の主要音楽賞でも本賞や歌手賞を受賞するなど[17][18][19][20]、予想を覆す活躍で瞬く間に同国のトップグループへと伸し上がった[10]。彼らの成功が与えた影響は大きく、SS501など他のアイドルグループの結成を促す効果をもたらして、のちの韓国アイドル界再興の端緒をも開くこととなった[21]。